
愛と実存。
人間が語るストーリーは結局の所、この二つに集約されると言っても過言ではありません。
豊かさや多様さの時代にあっても人間の本質はここに還元される。だからこそ、物語が外界から遮断されるとより一層、そうした人間の本質的な情動は剥き出しになる。
「暴力脱獄」、「パピヨン」、「ショーシャンクの空に」など、牢獄を舞台にした作品が胸を打つのはそれがまるで極限まで濃縮された世界と人間の縮図であるからだと思います。本作が与える静かで激しい感動もまた、人が人を思い、愛する自由を貫こうとする姿に、人間のあるべき姿を見るからでしょう。

ハンスとヴィクトール、一見すると正反対で相容れない人間同士のように思える二人が、長い時間の中で少しづつ共感しあい、連帯を育み、やがて愛を見出して行く様は、人間が他者を愛する、愛してしまう事の掌握出来なさを物語っているように見えました。
有害な男性性を全身から発散させているように見えるヴィクトールでさえ、ハンスの腕に残る強制収容所の痛ましい痕跡を見て、長く獄に繋がれる苦しみを想起し、共感せずには居られない。
ハンスに刺青を施すシーンは彼がタフさの鎧で覆い隠している繊細さや優しさが露呈した瞬間に思えて見た目の痛々しさとは裏腹にとても感動的で暖かい印象を受けました。
まるで猿や猫が互いの毛を繕うように、他者の痛みの記憶を塗り替えようとケアをする。
どんな生き物も優しさや共感性を野蛮な雄々しさの裏に持ち得る筈だと信じている私にとって、ある種の聖画のように美しく崇高な瞬間でした。

人には他者の心や記憶の中に同じ悲しみを見た時、抱擁せずには居られない”どうしようもない善性”がきっとあって、そうした心の触れ合いの中で愛が芽生えることは、如何に法で縛ろうと、獄に繋ごうと、体を拘束しようと阻むことは出来ない。
正常さ、などという手前勝手な理屈で愛というアンコントローラブルな情動を制限しようとした悪法の愚かしさは筆舌に尽くし難いですが、我々が生きる社会には今も尚、その愚かしさが潰えずに残ってしまっています。
自由をこそ謳ってはいるが、婚姻を認めず、あわよくば異性愛と家父長制にコミットさせようと考える全ての愚かな為政者に、愛する自由と実存は何者にも支配出来ないと本作を突きつけてやりたい気分になりました。
人間は愛の為に、自らを獄に繋ぐことさえ出来てしまう。それほどに心の自由とは犯しがたいものなのだと。
一縷の光も差し込まない奈落のような独房の中で揺らめきながらも力強く燃えるマッチの炎は、幾度虐げられても愛することをやめないハンスの反骨の炎であり、覗き窓から投げ込まれたヴィクトールの連帯の証でもある。
そのオレンジ色のまたたきが瞼と心に焼きついてしまうような、美しく厳かな映画体験でした。