
これぞ正にポール・ヴァーホーヴェンの真骨頂!「娼婦ケティ」や「スペッターズ」に始まり、「氷の微笑」、「ショーガール」、「ブラックブック」、「ELLE」にも連なる女性像の新たなる傑作でした。
フィクションよりも劇的で、ドキュメンタリーよりも生々しい。文字通り丸裸の女の生き様を描かせたら当代一のヴァーホーヴェンですが、彼の作品の通奏低音はやはり、”美しい生き汚なさ”ではないかと思います。
語義矛盾のように思われるかも知れませんが、彼の作品に登場する女性は常に、あらゆる手段を用いてでも世界に屈服しない強さを秘めている人間として描かれて来ました。
嘘や性をも巧みに利用して、貧困や戦争、男性優位社会をしたたかに生きる女性の姿は凡百の作家であればカビの生えたような女性嫌悪や不信の物語として結実してしまいそうな所を、ヴァーホーヴェンの眼差しは一貫して強さへの尊敬や精神の気高さを讃えているように見えるのです。

暴力や抑圧で女性を支配し搾取しようとする男性達のおぞましさを常に容赦無く描写し、どれだけ華美な装飾や衣服に包まれ、知性を嘯いていても、その精神や思考は単なる利己と欲望に埋め尽くされているのだと暴く一方で、生存と愛の為に全てを投げ打っても、精神だけは決して手渡さない女性の高潔さは、泥や糞尿、血に塗れた裸体を通して描かれる。

ビジュアルイメージは鮮烈で、物語も容赦のないストーリーが多い彼の作品群ですが、その本義は常に、男性優位社会が女性に強いて来たしたたかさの苦痛、その可視化にこそあるように思います。
「ブラックブック」の、アーリア人になりすます為、陰毛まで金色に染めようと脱色剤の激痛に耐えるシーンや、本作の痛ましい聖痕の傷口や苦悩の梨の激痛を伝える悲鳴のむごたらしさなど、それら全ての根底にある原因は結局、競争と収奪が連鎖する男権主義の中で生きなければならない理不尽にある。
ベネデッタが高血圧なイタコ芸で騙る声は、世界で最も強い権能を持つ男キリストであるし、彼女の騙りを暴こうとするクリスティナやフェリシタが頼るのも一定の権能を持つ神父や、教皇大使といった男達。
本作では一貫して、女性が持つ権力や声は男の権能を借りる形でしか発現されないものとして描かれ、さらにその権力を女性同士で奪い合う様が展開されます。
だからこそ、ベネデッタとバルトロメアの間に芽生えた愛や、フェリシタが最後に見せた教皇大使への死の接吻は男権に支配された世界への最後の抵抗のように見え、とても力強く胸を打ちました・・・。
バイオレンスとセックス、下品なまでの生々しさが全編に渡るからこそ光る”瞬間の美”に人間の本質的な美しさを垣間見た映画体験でした。
「ショーガール」でのラジー賞受賞や、「氷の微笑」の先行したセックスイメージだけで語ってしまうにはあまりに惜しいポール・ヴァーホーヴェンという作家の魅力が少しでも伝えられていれば幸いです!
