
今回の特集に合わせて四作品全てを再見したのですが、一番印象が変わったのが本作でした。
初めて見たのは20になりたての頃だったと記憶していますが、これぞ男の世界だ!とストレートに憧れを感じて、深夜の快活クラブ(ビリヤード施設の貸出もある漫画喫茶)で友人と朝方まで練習したものです。
かなりのド下手でブレイク(ゲームの一番最初に行う並べられたボールを崩すショットのこと)すら上手く出来ない始末でしたが(笑)
あの頃と今回の再見で明らかに違ったのは、クライマックスの勝利に漂っている虚しい空気感をしっかり感じ取れた事です。
以前の私には単に、エディが鮮やかにファッツにリベンジをして見せたその様の格好良さしか読み取れていませんでしたが、それなりに大人になった今から見ると、この勝負自体が何かとても空虚で無意味なニュアンスに満ちていて、本作はむしろ、男の世界や張りあいのようなマッチョな価値観を虚しいものとして描いているのが分かります。
典型的な”冷蔵庫の女”(主人公の動機付けや成長の為に物語上で死んでしまうヒロインのこと)として登場するサラの死をもって、エディがハスラーの価値観にすっかり意味を見出せなくなっているのが、ラストの独白から読み取る事が出来るし、その言葉を沈黙して聞いているファッツや周囲の男達の様子なども、とても因縁の敵を倒したカタルシスのあるシーンのようには演出されていません。
男の自己陶酔やスリルの渇望の為に女性が犠牲になるという様はある種のダシというか、主人公側のナルシスティックな動機付けに利用されるのが常ですが、クライマックスのエディは勝負の行方にサラの無念を重ねるような手前勝手な陶酔をする事は無く、あくまで淡々とゲームに臨みファッツを圧倒する。
無価値な勝利を収め去っていくエディの哀愁漂う姿が画面から消え、エンドクレジットが上がり出す。この瞬間が本作のテーマを非常に物語っているようでとても強く印象に残りました。
本特集を振り返って見ると、やはりポール・ニューマンの作品群はストレートなヒロイズムやマッチョイズムを描くよりも、そうした物語の背景にある筈なのにそれまでのハリウッドでは描かれて来なかった”やるせなさ”や”もどかしさ”と言ったアイロニカルな視点がメインになっているのが特徴的だと思います。
それまでの強く正しい男性像とは違い、観客の共感や母性愛をくすぐる”未成熟さ、弱さ”が垣間見えるのが彼の大きな魅力だったのだなと再発見出来る特集でした。