
静かで繊細なトーンでありつつも、その根底には激しい情熱と絶望が流れている。まるで暗渠を辿り大河へと行き着くような美しくも激しい物語に魅入られてしまいました。
私も創作を生業にする事を夢見た者の一人ですが、物語を紡ぐ時、脳裏に必ず浮かぶ問いがあります。
「また駄作を一つ生み出すのか?」
「他の誰かがより鋭く、豊かに、あざやかに語ってくれるだろうに、自分なんかが書く意味などあるのだろうか?」と。
名作、傑作なんてものは夢のまた夢で、誰かの好みに刺さるかどうかも、記憶に留まれるかどうかもわからない創作を続ける事に、どうしようもなく虚無感を感じてしまう瞬間があるのです。
本作は、そんな感情をとても優しく暖かく慰撫してくれる作品でした。

世界では日々、沢山の人々が何らかの形で創作や表現を嗜んでいて、まるで砂漠のように途方もない数の作品が生まれている。その一握の砂の中のさらに小さな砂金こそが後世に残る作品になっていくのだと思います。
砂粒の中にあるからこそ、一欠片の金が希少であるように、素晴らしい創作もまた、堆積して行く数々の凡作があってこそ輝く。
そんな営みの一端を担えることはとても尊いのだと本作を観て感じました。
古ぼけた劇場の奥で埃をかぶったフィルムの山はまさしく堆積して行く創作の屍達のようで、どこか物悲しいながらも、そこに宿っていた知らない誰かの情熱が時代時代を彩り、確かにそこにあったのだと微かな暖かさをも覚えるのです。
私がこれまで生み出して来た作品や、今こうして書いている文章も、誰かの記憶に留まれずに色あせて行くのだとしても、この時代を形作った様々な言葉や思いの最小単位として未来の礎になるのでしょう。そう思うと、どこか観念したような穏やかな覚悟で創作に臨めるような気がするのです。

そして、このある種の達観は、人生においても同じ意義を持つだろうと思います。
多くの人にとって人生とは劇的でもなければ、後世に残るような偉大なものでもない。それでも日々、ありふれていても必死に各々の人生を生きている。そうした個人の人生の物語が世界には溢れていて、その豊かさの中に私も居る。
いつかは一角の人物に、優れた何者かに、そんな焦燥に疲れていつしか苦痛になっていた創作も、そして人生も、少しだけ軽くなったような気がする。そんな映画体験でした。