
エンドクレジットが始まった瞬間、これほど深いため息の出る映画はそう無い。これが率直な感想です。あまりにも救い難く、どこまでも深い暗黒が拡がるクライマックスに心底絶望してしまいました・・・。
神の為に街を浄化するなどと幼稚なヒロイズムに陶酔しては次々に娼婦達を手にかける男の姿が、我々には理解の及ばない異常な人物としてではなく、冴えない自分を受け入れられずに大きな物語を求めている平凡な男として描かれていることがあまりにも恐ろしい!
凡庸な不能感に抑圧的な戒律や陳腐な社会正義がほんの少し後ろ盾を与えるだけで、人はこんなにも恐ろしいことが行えてしまう。その身も蓋もない絶望的な真実は、人間社会における善悪そのものが実は薄氷一枚分の隔たりの中にしかない事を物語っているようです。

犯行シーンの滑稽なまでのグダグダ感や、日常での冴えない己に鬱屈している様、そして多分に家父長的で有害な男性性を子に引継いでいる様などを見るにつけ、ことごとく成就しないマッチョイズムの妄執は醜悪であることを告発する本作は、多様化の進んだ北欧を拠点とするテヘラン生まれのイラン人監督アリ・アッバシにイスラム社会の家父長制が如何にグロテスクに映っているのかがうかがい知れて、同じく根強く家父長制の規範が残る日本の男性として非常に考えさせられる(こんな呑気な言い方をすることすら憚られるほどに)映画でした。
本来、己を律し正しくある為の戒律や規範が他罰的な裁定の法として人々に内面化され、いつしか自らの誠実、敬虔さを示すため生贄を欲するようになる様は、人間が社会を維持する為に規範や宗教を生み出してから延々と繰り返されて来た最も愚かなヒトの性質が描かれているように思えます。

この国でも、困窮し売春や路上生活を余儀なくされている女性や支援団体への心無いバッシングや、性産業自体の搾取性から目を背けて消費一辺倒に偏る男性達の在り方は共通していることを思うと、本作で描かれたおぞましいフェミサイド(女性を狙った殺戮)は我々にとっても全く他人事ではありません。
女性の貧困を生み出している差別的で理不尽な社会システムには微塵も目を向けず、性を買う男達を罰する事もなく、何故かセックスワーカーのみを憎悪する卑劣な犯人の思考は日夜ネットで目にする浅薄な意見に酷似しているし、謂れのない憎悪と偏見に基づく飛躍的な被害者意識を拗らせて身勝手な裁きを支持する人々の姿もあらゆるマイノリティに振りかざされて来た暴力構造をそのまま具現化したようで暗澹とさせられます。
この世にまだ、わずかばかりの希望があるのだとしたら、本作のような映画が作られ、我々の目に触れ、社会の在り方について思考を促す真の意味での自浄作用が機能し得るということでしょう。それを失わない為に、私もまた本作が与えた衝撃について考え続けたいと思います。

ヘイトが集団の中でどのように生まれ、正当化され、継承されて行くのか、まさしく地獄の循環をつぶさに描いてみせたアリ・アッバシ監督の鋭い観察眼に心を貫かれた映画体験でした。