
「左ききの拳銃」、「ハッド」、「太陽の中の対決」、「ロイ・ビーン」、「ポケットマネー」と長いキャリアの中で多くの西部劇映画に出演しているポール・ニューマンですが、やはり彼の西部劇映画と言えば本作でしょう。
手下に決闘を申し込まれ不意打ちで叩きのめすダーティーな悪党でありながらも、やはりあの憎めない笑顔で観客の心を掴んでしまうブッチ・キャシディと、射撃の名手だが短気でかなずちという抜け具合がかわいらしいサンダンス・キッド。
伝説的なアウトローコンビの映像と共に流れるオープニングクレジットはどこか走馬灯のような死の匂いと物悲しさが漂っていて、これから辿る二人の行く末に哀愁を感じずにはいられません。
ニューシネマらしい反体制と刹那的な生き方の二人には判官贔屓と憧れを掻き立てられずにはいられませんし、瞬間瞬間の非凡な輝きは常人の人生には決してないギラギラがありますが、反面、弛緩した日常の退屈さを受け入れる事でしか得られない落ち着いた幸福を決して手に出来ないという悲劇性故の輝きであるのも真実なので、こうして銀幕の中で楽しむ程度が理想なのかも知れません・・・。
中盤以降、舞台がボリビアに移ってからは、短くド派手に輝く人生の裏側にある、社会への馴染めなさのような物が切なく響いて来ます。根っからのアウトローとして人生を歩んで来た二人が一度は職に就いてはみるものの、因果応報と言うべきか現地の山賊に襲われて台無しになってしまうシーンはコミカ
ルでもあり、そこはかとなく悲しい諦念の漂うシーンでもありました。
クライマックス、銃撃戦の最中で死を覚悟した二人が語る未来の夢想。その切なさは正にアメリカン・ニューシネマを代表する屈指の名シーンであると思います。
死が目前に迫っていても明日について語り、勇猛と突進して行く姿はアメリカンドリーム亡き後の世代が背負った悲哀を吹き飛ばすエネルギーに満ちていて、現代を生きる私をも勇気付けてくれる反骨の象徴として深く心に刻まれています。
個人的な思い出ですが初めて本作を鑑賞した当時、私は19歳で”おトガり”真っ最中の時期だったので、現実に追い立てられる二人の姿に周囲から大人になれと迫られていた自分の姿を重ねて、「つまらない大人になるくらいなら、太く短く生きてやるのだ!」などと息巻いて似合わないハットをかぶっていたものです。
とは言え、根が小心者なのでワルのワの字もない単なる大人こどもでしか無かった訳ですが(笑)
それなりに大人の年齢になった今、改めて本作を鑑賞すると哀愁の匂いが大きく増して見えて、自分の人間的成長や変化で映画の見え方も変わってくるのだなと新しい発見があった映画体験でした。