
ポール・ニューマンのフィルモグラフィにおいては超初期作にあたる作品ですが、ニヒルながらも子供のような笑み、ニューシネマの厭世感を体現したような虚しげな眼差しなど、俳優ポール・ニューマンのイメージが既に完成されていて再見の度に驚かされます。
ハードルを越えようとして蹴躓いて足を折り、以降はずっと松葉杖を片手にパジャマ姿で不機嫌そうに酒を飲んでいる。その様は大人こども感丸出しで何とも情けないものなのに、彼の佇まいは憎めない魅力に満ちていて、不思議と共感を誘われてしまう。
ポール・ニューマンが放つ愛嬌が無ければ成立し得ない、正に彼だけに演じられるキャラクターであるなぁと思います。
黑人の従者を従える富裕な白人一家、はためく南軍旗、家父⻑制の横暴さ、唐突に訪れるハッピーエンドなど、現代から見ると思わずギョッとしてしまうようなシーンも多々ありますが、ドラマの本質に目を向けてみれば今も色褪せない普遍性を持ったお話であるのもまた事実。
物の豊かさにどれだけ囲まれていても、愛情や誠実さには代えられない。
ガラクタの山の中、父子が初めて心からの会話を交わすシーンの哀切は非常に胸に迫る物があります。父性愛がもっぱら金銭や物品、命令、暴力でしか示されない家父⻑制の欠陥が子に実存的不安をもたらしている様は、ニューシネマ期のアメリカ映画では度々見られる情景ですが、ポール・ニューマンの後の出演作となる『暴力脱獄』においては、天の父、すなわち神の沈黙や不在性に発展して行く事になります。
本作ではニヒルの体現者であった彼がさらにその先、実存主義を体現する役者になっていく過程が味わえるのが今回の特集となっておりますので他の三作品も是非、ご鑑賞頂ければと思います。