
高橋ヨシキ氏は私にとって、第二の父と呼んでもいい程、多くの事を教わった人です。
まあ私には第二の父、母が映画界に百人くらい居るわけですが(笑)。
ラジオに出れば必ず聞き、著書が出れば必ず買い、YouTubeに出れば必ず観て、常にその動向を追いかけて来た尊敬する映画ライター。私にとっての高橋ヨシキ氏はそういう人です。
そんなヨシキ氏が劇場用長編を監督したとあれば、それはもう観ない訳には行きませんので多くの期待と緊張を胸に鑑賞させて頂きました。

傑作と言うにはあまりに荒削りで、脚本も散漫な印象が目立つし、予算の安さが感じられたという声も見聞きする本作、首を捻った箇所もある。不満もある。
ですが、私はこの映画が”大好き”です。
普段の趣味でない映画をこき下ろす私の口ぶりを知る近しい人が見れば完全な贔屓だと言うでしょうが、それがどうした!と言いたい思いです。
尊敬する人の、最も尊敬する”その人らしさ”が映像に、セリフに、音楽に炸裂しているのだから、もうどうあっても嫌いになれる訳が無いじゃないか!
「街に歌舞伎の目みたいなポスターが貼ってあるのよく見るじゃないすか、”誰か見てるぞ”とか書いてあんの。
”勝手に見てんじゃねーよ!”って思いますよね」
そう言って、相互監視と同調圧力の社会への怒りを表明していたヨシキ氏の思想がそのままぶちまけられたシナリオは、まさに今現在の日本社会をバイオレンスで戯画化して見せた物になっていると思います。

安心、安全の名の下に行われる排除。これは全く他人事でなく、この社会の中で少しづつ進行している現実です。
公園のベンチを人が寝れないようにデザインしたり、交差点や高架下に無意味に突起を設けたりする事でホームレスが寄り付かないようにした排除アート。
児童相談所の建設を拒む差別的な地域住民。
生活保護受給者に対するバッシングや、”生産性”の名の下に裁定される命の重み。
あくまで多数派のみを前提とした窮屈な秩序が蔓延しているのが隠しようのない真実です。
ネットを開けば、共感性の薄い有識者がどうやって他を出し抜いて、この社会に順応して行くのかが利口で大人な考え方なのだと言わんばかりに薄笑いを浮かべて、”自己責任”を唱えている。
そんな現実に対して我々が諦め手放している感情。それこそが”激怒”なのだと思います。
「蛆虫だからリンチして殺すのか」
「アイツらはゴキブリじゃない、人間だ」
「俺は、お前らを、殺す!!!!」
手前勝手な物差しでまともか異常かをジャッジする全ての者に対して、真摯に怒りを表明して来た高橋ヨシキ氏が撮るからこそ、本作が発するメッセージは心に深く響きます。
涼しい顔で受け入れる奴だけが生きれる社会なんてクソだ!俺たちはもっと怒るべきなのだ!と。
照れ屋で皮肉屋なヨシキ氏が映画に託した本音に私も深く同感した映画体験でした。

「ネットワーク」や「トゥインクル・トゥインクル・キラーカーン」、「フォーリングダウン」、「ブルーベルベット」など、
「あの映画が好きだってヨシキさん言ってたもんね!わかるよ!」と見ながら思わずニコニコしてしまうような作り手の”好き”が素直に炸裂したキュートな映画でもあるので、本作を通じて高橋ヨシキ氏に興味を持たれた方は是非、YouTubeチャンネル「高橋ヨシキのクレイジー・カルチャーTV」などをオススメします!!