
まず、本作の感想について述べる前に⼀つだけ表明しておきたいのは、“戦争を始めた者にはいかなる勝利も訪れない”という事です。
他者を脅かし虐げて勝利を得た所で、地表と歴史に残った⾎と死の道程は決して無かったことにはなりません。必ずその報いを受けることになります。⼒で奪った物を永劫⼿に出来た例など、⼈の歴史において⼀度たりとも無いのです。
どれほど強く⻑けていても、奪い合いに永久の勝利など訪れないとここに断⾔しておきます。
本作もまた、戦争が⼈間をどれだけ深く傷付け、破壊してしまうのかが描かれています。胸が張り裂け、⼼が強く引き絞られる悲しみに満ちた映画です。
スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチによる証⾔⽂学「戦争は⼥の顔をしていない」を原案とする本作で描かれるのは、戦場の凄惨な死屍累々や戦地での英雄的な⾏いではありません。描かれているのは、「戦争という暗いトンネルを抜けた先に待つ、⻑く尾を引く痛みの物語」だと⾔えます。
歴史だけ⾒ればソビエトは第⼆次世界⼤戦の戦勝国ですが、独ソ戦の凄惨な実態や戦後の荒廃した暮らしを⾒つめると、⼈々に勝利の恩恵がもたらされたとは決して思えません。途⽅もない数の死者、傷病者が居て、国⼟の⾄る所が焦⼟となっている。
そんな中で暮らしていく⼈々にとって、戦後はトンネルの先の光明などでは決して無かっただろうと思います。
本作の主⼈公、イーヤとマーシャ⼆⼈の暮らしぶりを⾒てもそれは明らかで、終わった筈、勝った筈の戦争が遺した理不尽によって唯⼀の光であった幼な⼦を失い途⽅に暮れてしまう姿には深い絶望を感じました。

「ジョニーは戦場に⾏った」や「キャタピラ」を思い起こさせるようなステパンの顛末や、緑のドレスを着てはしゃぐマーシャのあまりにも居た堪れない様⼦も正に、勝者無き残虐⾏為である戦争の真実を観る者に突きつけます。
しかし、そんな絶望の中にも、本作は⼀つの希望を我々に提⽰します。それは、戦場で培われたのであろうイーヤとマーシャの強い連帯感です。他を⼰が事のように思い、⽀え合うこの関係が暴⼒が⽀配する戦場で育まれたという⼀つの事実は、⼈間がいつか戦争を克服出来るという本当の勝利の可能性を⽰しているようにも思います。
”道はただ⼀つ。⼈間を愛すること。愛をもって理解しようとすること。”これはアレクシェーヴィチの⾔葉です。⼈間性が暴⼒に勝利する唯⼀の⽅法は愛と共感であると、ラストシーンの抱き合う⼆⼈の姿に強く感じました。

そしてアレクシェーヴィチは「戦争は⼥の顔をしていない」の中でこう綴っています。
”我が国の勝利に⼆つの顔がある。素晴らしい顔と恐ろしい顔が、⾒るに耐えない顔が”と。
彼⼥が戦場を経験した⼥性達の証⾔によって暴き出した、英雄も栄光も勝利も無い、破壊と残虐と死ばかりをもたらす戦争の本性を、戦後を⽣きる⼥性⼆⼈を通して描いた本作は、今最も⾒るべき戦争映画の新たな傑作であると思います。
国家やイデオロギーが覆い隠しても、多くの個⼈に刻まれた傷跡はこうして私達に訴えかけるのです。戦争を繰り返してはならないと。今を⽣きる我々にはその悲痛な訴えに真摯に向き合う責任があるのだと改めて気付かされる映画体験でした。
本作を⾒て⼼動かされた⽅にはぜひとも、「戦争は⼥の顔をしていない」を⼿に取って頂きたいと思います。NHKの番組「100分de名著」で取り上げられた際には、俳優の杏さんの素晴らしい朗読とロシア⽂学研究者の沼野恭⼦さんによる解説が光る屈指の傑作回となっていましたので、こちらも併せてオススメです。
数多くの痛みと、悲しみが響き合うその本を読むことは今後私達がどのような世界を⽬指すべきなのか、その答えを⽰してくれる事でしょう。
スタッフH