
初めまして、シネマスタッフHと申します。
平素より、当館をご愛顧頂きまして、誠にありがとうございます。
4月より館内掲示物の新しい媒体として、当館で働くスタッフが上映している映画をどう見て、どう感じたかを一つのコンテンツとして皆様に楽しんで頂ければと思い、「シネマスタッフの鑑賞記」をひっそりとスタートさせて頂いておりました。お陰様でご好評頂き、大変嬉しく思っています。
今後はこちらのHP上でも、随時更新させて頂ければと思いますので、何卒、よろしくお願い致します。
注:なお、本コンテンツは鑑賞しての感想という形式上、ネタバレ等を含む可能性が御座います。可能な限り、鑑賞後にお読み頂くことをオススメします。
さて、記念すべき第一回目は、アスガー・ファルハディ監督作「英雄の証明」です。
日本公開を直前に控えるタイミングでの盗作騒動、そして監督への有罪判決と、大きな話題となった本作ですが、出来上がった映画を見てみるとしかし確実に、アスガー・ファルハディの映画であると感じました。
私自身は「セールスマン」で初めて触れた監督で、「誰もがそれを知っている」で更なる衝撃を受けたクチですが、ファルハディ監督作は”苦しい程の切実さ”が交錯する模様が常に共通しているなと感じます。
分りやすい悪意や敵意というよりは、それぞれに胃の痛くなるような事情を抱えていて、それぞれの思惑、希望に縋るように行動している。そしてそれが絡み合う事で皆が互いに縛り合ってしまう。
まるで苦悶の相関図のような展開が特徴的ですが、これがまたどうにも面白いもので、そうした困難や苦しい状況に置かれるからこそ、それぞれのキャラクターのむせ返るような人間臭さが立ち上ってくるのが味わい深い所だと思います。
今作でモチーフとして登場するソーシャルメディアではなかなか得難い、それぞれに肩入れする視点が同時に存在するのが映画というメディアの面白い所ですね。
私もSNSは日々、利用していますが、様々な炎上や疑惑、美談が素早いサイクルで消費されて行く中で、当事者達への共感性を損なったまま善悪を判断してしまう場面が多くあるなと感じました。
主人公ラヒムの置かれた状況、他者からの言葉や誘導を共に追って行く視点があるからこそ、思わず「そりゃないよ!」と言いたくなる展開や、反面、「それはやっちゃダメだろ・・・」と目を覆いたくなる言動を彼への共感性を持って見る事が出来ますが、SNSで見聞きする美談や炎上には、そうした主観性や共感性を伴わない分、ある種、非情に、冷徹に善悪を判断してしまう部分があるなと思います。
人間は清濁を合わせ持つ生き物ですが、よく知らない相手にはついつい極端な幻想や悪意を見出してしまい、ひとりでに憧れたり幻滅したりしてしまう事は自分にも随分、覚えがあります・・・。
もちろん、どう想像を巡らせたとしても擁護のしようがない加害行為というのは存在しますが、全ての炎上や美談を己に置き換えた時に正しい判断が出来るだろうかというのは常に自問して行きたい所です。
「人の振り見て我が振り直せ」と聞きますが、昨日は英雄、明日は詐欺師と、他者へのジャッジが軽々しくならぬよう、己であればどうかと考えられる人間で居たいと思う映画体験でした。
シネマスタッフH